【報告】第7回 福大韓国学シリーズ(10月21日[金]-22日[土])

  • 教員の研究コラム

10月21日(金)、22日(土)に第7回福大韓国学シリーズを開催された。福大韓国学シリーズは、韓国学関連で日本、韓国そしてほかの地域の研究者が集まって話し合う集まりである。特に福岡で集まるということを考えてこれまで開催してきた。今年度は、3年間コロナ禍の影響で韓国の研究者を招聘することができなかったが、今年10月より日本への入国が緩和され、対面で行うことができた。またオンラインでも参加ができるようにし、遠方から参加される方もいた。

10月21日の講演会では、高榮蘭氏(コウ・ヨンラン、日本大学)が、「文学の路上に集まろう!:「母語」幻想と新しい文学の書き手たち」というタイトルで、日本語で創作を行う外国籍の日本語文学作家や外国(例:ドイツ)で外国語で創作活動をする日本人に関する事例を取り上げ、移民・出入国管理・日本語創作の問題についての講演だった。日本で外国籍の日本語創作作品が芥川賞の候補や受賞になるのが、その作家の出身国との関係、とくにオリンピックなどの友好的なムードとの関係があるという話は、文学界と外交・政治の関わりを示唆するものでもあった。「日本文学」と言えば、日本・日本人・日本語という構成要素に縛られてしまうが、「日本語」文学、つまり日本語で書かれた文学という形で、書かれて言語に注目することで、書き手やその人の国籍などとは関係なく日本社会の文学を語ることができるヒントを与えてくれた。

10月22日の若手研究会では、3人の研究者が発表を行った。

まず、高橋梓氏(新潟県立大学)の「植民地期の朝鮮人作家の女性表象をめぐる研究:金史良の朝鮮語・日本語作品を中心に」は、金史良の日本語・朝鮮語の作品における女性像の問題についての話だった。金史良の作品において、朝鮮語・方言で描かれる女性と国語(日本語)・標準語で描かれる男性の姿を対比させているところが興味深った。今回の発表は金史良の作品だけを扱ったものだったが、植民地朝鮮におけるほかの作家の女性像、また同時期の東アジアにおける女性の描き方についての検討が今後の課題となった。

次に、中川侑氏(九州大学大学院博士課程)の「女であり、在日であること:李良枝文学の交差性」は、李良枝に関する従来の研究が、男性ジェンダー中心の批評世界や在日コリアンの世代問題などで論じられてきたことを考え直す発表だった。李良枝の文学作品を交差性(intersectionality)の観点から、従来の研究で論じられてきた在日・民族・世代・人・女性などに関する問題が互い交差するような形で読み解く可能性を示した。李良枝の文学作品において交差するさまざまなものがどのように表れているのか、そしてそこから見えてくるものが何かを検討することが今後の課題となった。

最後に、韓国学と他分野との研究交流の旨として発表をお願いした金志映氏(キム・ジヨン、韓国・淑明女子大学)の「転覆と連帯の想像力:日本における韓国フェミニズムSFの翻訳受容をめぐって」は、2019年を前後とした韓国のSF文学ブームと2010年代以降のフェミニズム文学との関係に注目し、韓国社会のSF文学ブームの意味と、これら作品の日本語での翻訳の様相についての発表だった。韓国のSF文学はドラマや映画などとしても制作せれており、韓流ブームの流れでも説明できる。また現状を脱して想像の世界を描くSFの文学ならではの特徴(例:差別と違いに敏感な文学)が、今日の韓国社会と多数日本語で翻訳されて紹介されている日本社会の読者にも共感を得ているという指摘が興味深かった。

今回は議論を中心とするために上記の3名の若手研究者にお願いしたが、コメンテーターの高榮蘭氏(同上)と司会者兼コメンテーターの柳忠熙(福岡大学)から様々な角度から質問やコメントがなされた。

今年度は久しぶりに福岡で講演会と若手研究会を開催することができて、また互いの顔を見ながら議論が出来てよかった。今後もオンラインとオフラインをともに行うことで、九州地域の研究者と日本国内や韓国などの研究者の研究ネットワークをより活発にしていきたいと改めて思う集まりとなった。

【文責:柳忠熙】

講演会の様子

若手研究会の様子